単細胞生活

みよちゃん

みよちゃんは1917年生まれ。
北海道の美唄と言う街で、12人兄弟の2番目、長女として育ちます。
みよちゃんの父は福島県から引き上げてきて農家をしてましたが、
囲碁や将棋や野球や、そういった遊びの得意なちょっと変わった人だったそうです。

みよちゃんのおうちはあまり裕福ではありませんでしたので、みよちゃんは小学校しか行ってません。でもお勉強は学級一できたそうです。
みよちゃんが16,7のとき、兄弟の上から4人を日本に残して、家族はブラジルに渡って行ってしまいました。
みよちゃんは札幌でかふぇの給仕をして生活していました。
小柄で童顔なわりに一本気な感じのみよちゃんはかふぇで人気者でした。
かふぇの常連の中でも、金持ちで遊び人のヒデさんにとりわけ気に入られてしまいました。
ヒデさんは家に帰って家族に宣言しました。
「みよちゃんと結婚できなかったら俺はウチを出る!」




ヒデさんは金持ちの一人息子でしたので、小さい頃からわがままばっかり言っていました。
家族は悩みましたが、家を出て行かれるのは困るのでしぶしぶみよちゃんがお嫁にくることを許しました。

みよちゃんはもちろん持参金などというものはありませんでしたので、嫁入り道具は全部ヒデさんのお母さんが揃えました。
みよちゃんはその頃、努力して公務員試験に合格し、学校の事務員として働くことが決まったばかりでした。
みよちゃんは家事もしっかりすることを条件に働くことを許されました。

ヒデさんのお母さんは札幌の小町と言われ、玉の輿になってお嫁に来た人でした。
そしてネコのごはんを作る以外は台所に立ったことがありませんでした。
それまではお手伝いさんがいましたが、みよちゃんがお嫁にきてからはお手伝いさんを雇うのをやめましたので、食事はすべてみよちゃんが作りました。
ヒデさんもお父さんもお母さんも外に仕事には行かず、財産と家賃収入とで暮らしていました。
札幌の中心部に近いところに家があり、家の横には100坪くらいの空き地があって、そこに家庭菜園を作っていました。その世話もみよちゃんがしていました。
ヒデさんは金持ちであったこともありましたが、目が悪く普通に仕事ができない体でしたので、切手や古書の収集やそれにまつわる旅行記を書いたりしていました。
ヒデさんはみよちゃんにとても優しかったようですが、お母さんはとっても気の強い人で、みよちゃんの苦労もなかなかのものでした。

そのころ戦争が始まりましたが、ヒデさんは弱視で戦争に行けなかったので、家族で樺太にうつりました。極寒の地、樺太でみよちゃんは妊娠し、出産したのでした。

みよちゃんは娘一人と息子二人を産みました。
子供たちのPTAはヒデさんのお母さんが引き受けていました。
子供たちは勉強にスポーツに、のびのびと好きなことをして大きくなりました。
みよちゃんはずっと学校事務をしながらとにかくひたすら家事をしていました。

娘がお嫁に行ったころ、末の息子が趣味の山登りで遭難しました。
一週間行方がわからなくなりましたが、結局遺体で発見されました。
みよちゃんは喪服姿を鏡で見たときびっくりしました。
50歳まで豊かで真っ黒だった黒髪が、一週間で真っ白になってしまったのです。
それまでは小柄で童顔で色白なみよちゃんは学生と間違われることもあったようですが、
一瞬にして実際の年より10歳も20歳も上に見られることになりました。
そのとき70歳くらいだったヒデさんのお母さんは生まれついての茶髪で白髪もなく、
相変わらずスタイルの保持と美容に力をかけていましたので、
完全にどっちが親かわからなくなってしまったそうです。

みよちゃんは60歳の定年の日まで真面目に学校事務で働き続けました。
退職する日、「明日からは少し好きなことができる。」そう思って学校を出ました。
その瞬間、みよちゃんの膝に強烈な痛みが走りました。
長年の無理のせいで膝の骨が悪くなってしまったのでした。

治療を続け、少しよくなってきた頃、今度はヒデさんのお母さんが脳溢血で倒れました。
お母さんは病院のベッドで、「たばこが吸いたい、たばこが吸いたい。」と言い続けました。
しまいにはみよちゃんに「点滴のビンの中にたばこを入れとくれ。」と言ったくらいです。
最期までわがままいっぱいのお母さんでしたが、亡くなったときみよちゃんは誰よりも悲しみました。

5年後、今度はヒデさんが病気で倒れました。病院に運ばれたときには既に末期の胃がんで、一月もしないで他界してしまいました。
みよちゃんはしばらく広い屋敷で一人暮らしをしていましたが、突然思い立って土地とヒデさんの収集したコレクションをすべて売ってしまいました。
それから20年がたちましたが、みよちゃんは手にしたお金を贅沢に使うこともなく、生活は自分の年金でやりくりしています。
ひざも悪く、目も耳もすっかり悪くなってしまいましたが、みよちゃんは元気に一人暮らしをしています。
今は漢字のクロスワードを夜中までしながら、週に一回タクシーでスーパーに行って食材を調達し、週に2号の米を炊いてレンジでチンして食べています。
そのみよちゃんも88才の誕生日を迎えました。波乱万丈な人生ですが、余生はのんびりと、そして少しでも長く生きてください。
ひ孫たちはおばあちゃんとオセロをするのが楽しみでしょうがないんです。
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by dayu2004 | 2005-03-13 12:33 | 家族
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